ひらぎの絶景  「河岸段丘上の町 柊野」

「愛宕郡上賀茂村絵図(江戸時代後期)」京都府立京都学・歴彩館所蔵↑
「愛宕郡上賀茂村絵図(江戸時代後期)」京都府立京都学・歴彩館所蔵↑

 2009年8月に撮られた柊野です↓よかったら 拡大してみてください

まちの写真 柊野小学校30周年記念事業の航空写真(柊野小学校所蔵)
まちの写真 柊野小学校30周年記念事業の航空写真(柊野小学校所蔵)
「柊野を訪ねる」『続京都に強くなる75章』(2005)京都高等学校社会科研究会所収↑
「柊野を訪ねる」『続京都に強くなる75章』(2005)京都高等学校社会科研究会所収↑

河岸段丘(かがんだんきゅう)の形成

河岸段丘の形成の図『新詳地図資料』2013(帝国書店)より引用
河岸段丘の形成の図『新詳地図資料』2013(帝国書店)より引用

 上流からの土砂が河川(賀茂川)によって運ばれ堆積して氾濫原(はんらんげん)をつくる。土地の隆起が起こったり、氷河期に海面が下がると河川が下の方へ侵食し(下方侵食または下刻という)、かつての氾濫原は上方に段丘面(だんきゅうめん)として残され、侵食された崖、段丘崖(だんきゅうがい)が形成される。河川の両側には新たに氾濫原が形成される。この段丘崖は日本においては大きいものでは80m程の崖を形成している。

 このことが繰り返され河川の両側に同じような階段状の地形である河岸段丘が形成される。集落や道路は洪水の起こりやすい氾濫原をさけて段丘面上に立地する。 

 柊野地区でいえば、上之段や下ノ段、川上町など位置するのが段丘面上である。氾濫原(柊野地区では何々河原町となっているところ)や低位段丘面から道路が上がってくるところでは急坂が形成される。その結果、柊野の段丘面は5mから10m程度の小さな段差であるが、坂のある風景が柊野の特徴的な景観となっている。(文責:奥村英継)

「坂のある風景」

 柊野地区は賀茂川のつくった河岸段丘に発達した地域であるため、坂が非常に多い。その坂をたずねてみました。

←びっくり坂

↑志久呂橋から雲ヶ畑街道

↑毛穴井用水路(下ノ段の段丘崖下を流れる)

↑雲ヶ畑街道(下ノ段)

↑下ノ段前田町から神山の見える景観


↑上之段の大道(貴船神社の前の道)


↑上之段の大道(柊野保育園の前の道)

↑中ノ坂(低位段丘から高位段丘へ一気に上る急坂)

↑鞍馬街道新道(京都ゴルフ場東コース前 明治時代後半に造られた新道)

↑上庄田(うえしょうだ)の段丘面

↑ゴンドラ坂(この坂の上に「ごんとら」という屋号の松本家があった。ゴンドラとなまった)

↑鞍馬街道古道(ほしか坂、星川さんの邸宅が坂を上がったところにあった。これも10m以上の段丘崖を駆け上がる急坂)

↑柊野ダム西側の坂(下は樋ノ口町で上が上庄田町 上庄田町は上之段と同じ段丘面上の地区)


↑西賀茂中学下の段丘面(下ノ段と同じ高さの段丘面、川上町の段丘面へとつづく)

↑蟹ヶ坂町の中位段丘面(前の段丘面の上に西賀茂中学があり、上位段丘面にあたる南は今原町へとつづく)

↑川上町の街道(柊野下ノ段町の雲ヶ畑街道と同じ中位段丘面にあたる)

↑向こうは京都ゴルフ場西コース(上位段丘面で柊野の上之段と同じ段丘面にあたる)

↑西賀茂中学への坂道(志久呂橋、びっくり坂に対応する段丘崖)

↑川上町中位段丘と段丘崖下を流れる西賀茂用水

↑中川上町の公園付近からみた川上町の河岸段丘(2段の段丘が確認できる)